七飯のななイイ話 04
男爵いも発祥の地
戦後の食料難を救ったジャガイモを最初に栽培した人物とは
機械工学を専門とする男爵だった
明治41 年(1908)、函館ドッグ取締役として活躍していた男爵・川田龍吉(かわだりょうきち)は、海外から11 種類のジャガイモを購入し、七飯に設けた農場である「清香園」で試験栽培したのが「男爵いも」のはじまりです。
また、彼は日本で初めて運転免許を取得し、ロコモビルという蒸気自動車を所有し、北海道に初めて自動車を走らせたといわれる人物でもあります。
かつて、川田龍吉は機械工学(造船技術)を学ぶためにイギリスへ留学。その際に食べたポテトの記憶を思い出としてもっており、七飯の冷涼な土地がジャガイモづくりに適しているという判断のもと、アメリカを原産とする品種「アイリッシュ・コブラー」、イギリスでは別名「ユーリカ」を購入し試作をはじめました。
彼には「工業と農業が共に栄えなくては国の発展はありえない」という理念があり、生活の基盤である食物の生産を発展させる必要があると確信していました。ゆえに機械工学の専門家である龍吉が、自費で農機械を導入し自家農園を開くに至りました。
やがて「アイリッシュ・コブラー」という品種が、味も良く早生種で環境に対する適応性や収穫量にも優れたもので、収穫後の貯蔵性も高いため近隣農家の間で評判となり栽培が広がりました。
大正期には、七飯農会から種芋として出荷しようという動きがおこり、その際に男爵・川田龍吉から譲り受けたジャガイモにちなんで「男爵いも」と命名、その種芋が本州方面へ出荷され北海道の優良品種として高い評価を得ました。
その後、戦後の食糧難を救った「男爵いも」は、平成初頭まで国内シェアナンバーワンのジャガイモとして、家庭の食卓に登場しました。昭和22 年(1947)、男爵・川田龍吉の偉業を称えて、国道沿いの清香園農場跡地に「男爵薯発祥の地」記念碑が建てられました。
取材協力 / 七飯歴史館 学芸員 山田央さん