七飯のななイイ話 02
北海道 酪農発祥の地
明治天皇も召し上がった七重(現七飯町)のチーズ
そのはじまりは外国人の要求によるものだった
安政元年(1854)、日米和親条約により箱館が開港されると、幕府は再び蝦夷地を直接支配下におき、食料・燃料、そして水を外国船へ供給する必要性が生まれ、また外国人が求める牛肉や乳牛などを供給するために、軍川付近に牛牧場を開設しました。この牧場の開設が、北海道の酪農の始まりと考えられます。
ところが、軍川では熊が多く出没し、特に現在のような電気牧柵のない時代のため、子牛が次から次へとヒグマのエサになったといいます。そして採算が合わなくなり牛牧場は閉鎖に追い込まれ、残された牛たちは峠下の人たちへ払い下げられたと伝えられています。
これまでの日本では、牛肉やミルクを食す文化はなく、食べる目的よりも牛耕を目的に飼育されていました。しかし、明治に入り生活スタイルが近代化へと変容する中でその需要が高まり、明治期に入ってからも本格的な酪農が行われました。
明治8 年(1875)には、開拓使の試験農場だった「七重官園」で牛乳を使ったチーズの試作が日本で初めて行われ、翌明治9 年、(1876)明治天皇の奥羽巡幸の際に、開拓使は北海道開拓の成果の尺度として七重官園をご覧いただくこととなり、昼食に官園で作られたミルク、チーズ、アイスクリームなどが献上されたと記録されています。
また、明治後半になると再び大沼地区の牧場開発に脚光があたり、開墾者が牧場を開くようになったほか、大正期には峠下や仁山で牧野組合が組織され、バターの製造販売に取り組んだといいます。
昭和20 年には、有限会社 山川牧場自然牛乳が自社生産牛乳による瓶牛乳の生産をはじめました。ホルスタイン種とジャージー種の混合乳は乳脂肪・乳固形分が高く、品質と風味の良さは、平成18 年度「北海道乳質改善大賞」受賞、平成25 年度「FOODEX JAPAN2013 ご当地牛乳グランプリ金賞」など数々の賞を受賞しています。
現在も山川牧場自然牛乳をはじめ七飯町の乳製品は、町内のみならず、北海道内・首都圏からも高い支持を得ています。
取材協力 / 七飯歴史館 学芸員 山田央さん、有限会社 山川牧場 自然牛乳