七飯のななイイ話 03
歴史あるリゾート地
明治期から国内外の観光客が後を絶たない大沼
風光明媚なその景観は、今も昔も人々を魅了する
七飯町の観光は、明治5 年、「札幌本道(現国道5 号)」を開削したことが契機といえます。当時、蓴菜沼に抜ける道を日本初の西洋式馬車道として整備したことをうけ、宮崎重兵衛という人物が蓴菜沼付近に旅館を開業。
蓴菜沼周辺が景勝地として知られ国内外からの観光客が訪れていたといいます。
宮崎重兵衛は、八王子千人同心の一人として七重村に入植、箱館戦争時には箱館府在住隊として参加した経歴を持ち、明治4 年に蓴菜沼へ移住した後に宮崎旅館を開業しました。宮崎旅館は、明治14 年の明治天皇の北海道巡幸の折に、お休みになられたこともありました。また、東京から北海道まで旅行した英国人女性のイザベラ・バードという人物も宿泊者の一人と考えられています。その際、蓴菜沼付近に宿泊したバードの旅行記には、「ほとんど湖の上に張り出して立てられた階上の部屋の外にいる」と記しています。宿の構造は高床で張り出したテラスのような部分があったと思われます。
明治36 年には鉄道が敷設され、観光の中心は大沼公園駅周辺へと移り発展していきました。
当初の計画では、国道5 号と並列し真っ直ぐ北上して森町へ向かうルートを予定していましたが、大沼公園を迂回する形状で敷設されている現在の鉄路への変更は、当時、大沼の開拓にあたった宇喜多秀夫らが、函樽鉄道株式会社社長に陳情書を提出したことにはじまります。
明治31 年に提出された彼らの陳情書には、「我々は香川県から移住し、排水溝や道路を開削し、大豆や小豆、馬鈴薯などの栽培に励み、また、牧畜も行うなど大いに拓殖に従事したため、世間の注目をあびるようになり、将来ますます発展して一大農村になるでしょう。またこの地には温泉もあり、駒ヶ岳と眼下に大沼・小沼がひろがり湖中にある無数の島々は真に絶景であり、峠下村からトンネルを穿ち、駒ヶ岳を眺望しつつ軍川村(現在の大沼駅付近)を通り森村へ至るルートを提案したい。」とあります。大沼公園周辺付近の観光の発達は鉄道の敷設と密接に関わっているのです。
現在では、七飯町を縦断するように走る国道5 号は、地域住民にとって主要な道路であり、沿道に植栽された約14km におよぶ赤松並木は、「日本の道百選」にも選ばれ「赤松街道」の愛称で、風光明媚な景観とともに、貴重な文化財としても親しまれています。また、大沼国定公園駅周辺は駒ヶ岳を臨む豊かな自然に恵まれた地として、今なお多くの観光客を魅了し続けています。
取材協力 / 七飯歴史館 学芸員 山田央さん